人は人のすべてを理解できないということ。
昨日の週末は、家族で金沢と福井に行ってきました。
家族旅行は4年ぶりくらいで、
友達と行くのとは感覚が違いました。
めいいっぱい楽しむ!より
いかに楽に楽しむか、でした。
さほど疲れもなくて良かった。
1日目、
現代美術の作品が展示されている
金沢21世紀美術館に行きました。
そこで気づいたことは
人間は人間の全てを理解できない
ということ。
作品を観ながら
「これは人かな?人ならどんな人だろうか」
と想像が広がるものもあれば
「苦しそうな感じ…」
とあまり広がらないものもあります。
感じることはできるけど、理解は無理だ
と気づきました。
人と話していると
この人は〜という考え方なんだ
○○が好きで■■は嫌いなんだ と
新しいその人を知ったら、嬉しくなる。
その人のある程度を、知った気になる。
でも、その人の内側に
私の知らない一面がまだまだたくさんある。
今書きながら思い出したのが
ジョハリの窓について。
相手によって、秘密の窓が開かれただけで
盲点の窓と未知の窓は閉ざされたまま。
その人の全てではなく、一部を知っただけ
ということです。
ジョハリの窓は「ふーん」としか思ってなかったけど
自分が体験したことと結びついて理解できました。
展示されていたアイ・チョー・クリスティンの作品。
タイトルを見てハッとしました↓
《私たちが過大評価されているのは、あなたたちが私たちのことを全く理解していないから 01》
理解に限界があることを覚えておこうと思います。